前回のブログで
ジラールペルゴの歴史をご紹介いたしました。
4F|GIRARD-PERREGAUX(ジラール・ペルゴ) ≪歴史をご存知ですか?≫ブランド紹介①
今回はぺルゴ家の5人兄弟のうちの一人
フランソワ・ぺルゴについてご紹介いたします。
フランソワ・ペルゴ (1834-1877)
フランソワ・ぺルゴは1832年6月25日に
ヌーシャテル山系地方のル・ロックで生まれます。
彼の父は時計販売業を営んでいましたが、
若くして亡くなったため
兄弟と共に家業を受け継ぎます。
そしてル・ロックルの時計仲介業者として
名をはせていきました。
1853年にはアメリカへ渡り、
6年間ほどニューヨークに滞在。
ぺルゴ商会の代表として輸出の拠点を築いていきます。
↑ニューヨークでのぺルゴ社の名刺
その頃、彼の姉マリー・ぺルゴはジラール家に嫁ぎます。
コンスタン・ジラールは義兄弟アンリ・ぺルゴへ
北米、南米への会社経営を委託。
このことで彼らのビジネスは急速に進展していきました。
(フランソワもアメリカでの家族経営に参加していたそう)
一方、スイス時計産業の保全と輸出のため設立された
時計連合会(L’Union Horlogere)では
新しい市場開拓の目的のもと
遠いアジアへの進出を企てます。
(フランソワをはじめとするぺルゴ兄弟たちも連合会のメンバーでした)
そんな連合会からアジア行きを任命された
フランソワ・ぺルゴ。
アメリカから帰国したばかりの
1859年、すぐにアジアへ出発します。
シンガポールを経由したのち
次なる市場として開国間もない日本へと
向かっていきました!
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当時の日本はまだスイスとの貿易を
自由に行える協定がなかったため
既に貿易をしている国の保護を
受けるしか方法がありませんでした。
ニューヨークに滞在していたことのある
フランソワ・ぺルゴはアメリカの保護を
受けようとしましたが、叶わず…
最終的にフランスの保護によって
1861年、日本上陸を許可されます。
スイスを出発して2年…
こうして、フランソワ・ぺルゴは
日本列島に足を踏み入れた最初のスイス人の一人となったのです!
しかし、ペリー来航から8年後の日本…
激動の時代、幕末の日本です…
上陸してからも決して容易ではないことが
想像できるかと思います。
長くなりそうなので今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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