皆様、スタッフブログをご覧いただきありがとうございます。
ISHIDA新宿 水野でございます。
現在は月毎で1ブランドの特集を組んでおり、9月は稀代の起業家集団「ジラールペルゴ」の連載です。
この記事の前にまとめページである「前談」、連載①「ジャン=フランソワ・ボット」を公開しております。
個人のXアカウントでは書ききれなかった内容などをご紹介しております。
それぞれのページごとでお楽しみいただけるようにしておりますが、
よろしければそちらも合わせてご覧くださいませ。
それでは皆様に変革の起業家「コンスタン・ジラール」をご紹介いたします。
【1825年 コンスタン・ジラール誕生】
1856年に誕生した「ジラール・ペルゴ」ですが、
創業者のコンスタン・ジラールは1825年にヌーシャテルのブルジョアな家庭に誕生しました。
https://www.girard-perregaux.com/jp_jp/our-home
幼少期のエピソードはあまり確認できませんでしたが、「厳格な技術を求める親方」から
スイス時計産業勃興の祖と言われる「ダニエル・ジャンリシャール」の故郷であるラ・サーニュの時計師に技術を学びました。
【1845年 起業家としての片鱗を見せる】
20歳のとき、カラム・ロベールとともに「カラムロベール&ジラール」を創業。
彼が生まれた時のヌーシャテルは正式名称「プロイセン王国所有ヌーシャテル公国」でしたが、
1806年からはナポレオン(フランス)の占領、1815年からアイトゲノッセン(≒スイス連邦)へ加盟、
1848年に革命が起こり、共和国になりました(正式には1857年までプロイセン王国所有)。
このような激動の世の中で、コンスタン・ジラールは自身の道を切り拓くべく奮闘し、
また1852年には弟のヌマ・ジラールと時計製造会社「ジラール&カンパニー」を創業しました。
【1854年 結婚、そして創業】
この章はジラール・ペルゴをご存知の方でしたら周知のエピソードかと思います。
1854年に時計仲介業者を営んでいたペルゴ家の長女、マリー・ペルゴと結婚。
そして1856年に現在にもその名を存続させる時計ブランド「ジラール・ペルゴ」が誕生しました。
前身としては1852年にヌマ・ジラールとラ・ショー・ド・フォンに設立した「ジラール&カンパニー」です。
ですが今後のジラール・ペルゴの発展にはペルゴ家の活躍が不可欠だったため、
まさしく1856年が転期となったと言っていいかと思います。
【ジラール・ペルゴの手がけた時計たち】
現在も腕時計としてラインナップにある「ブリッジ」がブランドを象徴する時計ですが、
その技術力で多くの時計を制作し、虜にしていました。
本の中から一部ご紹介させていただきますと、、、
・十字架型ペンダント時計 / ほうろう細工で描かれた天使に囲まれた聖母マリア(1870年頃)
・小さな本型のミニチュア時計 / ほうろう細工で描かれたキューピッド(1856年頃)
・両蓋懐中時計 / コンプリートカレンダー(19世紀終わり頃)
・海軍将校用腕時計 / ガラスの上に金属格子がついているレザーバンドの腕時計(1880年)
そしてブリッジは1865年から1890年の間に約20個が製造され、
1867年と1889年のパリ万国博覧会では金賞を受賞しました。
参考:https://www.gressive.jp/send/shop/200410-best-girard-perregaux/
【ジラールペルゴはどのようにして存続できたのか?】
私の調べ不足によるものもあるかと思いますが、
かの有名なブレゲは「資金難」で苦しむ期間が多かったことが公式の書籍で語られています。
代表的なエピソードは2つ。
1つ目は、1787年にブレゲが存在しない機構の開発に勤しみ資金難、グザヴィエ・ジイドと手を組んで会社を立ち上げたこと
2つ目は、1791年に上記の会社をたたみ、かつ王侯貴族から支払いが滞りプラスラン伯爵に借金を肩代わりしてもらったこと
ジラールペルゴの作っている時計に関してある種物珍しい時計が多く紹介されており、
ブレゲと同じような資金難になりそうなきっかけはいくつもありました。
しかし、資金難に陥ったエピソードが一切ないのです。
ですので、私個人として3つの仮定を出しました。
①1858年にペルゴ家が営んでいた会社をたたみ、「ジラール・ペルゴ」へ莫大な資金が流れ込んだこと
②世界的に経済状況が安定しており、対象としていた層から支払いの滞りがなく、かつ多くの顧客がいたこと
③コンスタン・ジラールが好きな時計作りに注力していた分、チームとして他で売り上げを出していたこと
ある程度予想はついておりますが、今後深掘りしていきたい内容として心に残っています。
【コンスタン・ジラールは、変革を起こした起業家】
コンスタン・ジラールはブレゲが1801年に公表したトゥールビヨンに熱中し、
1867年には時計の主要な構造を中心にまとめて並行に3本の「ブリッジ」がかかる
「スリー・ブリッジ・ゴールド・トゥールビヨン」を発表しました。
また1880年には実用性を念頭に置いた軍用の腕時計を2000本ドイツ軍へ納品しており、
1812年にブレゲが発明した世界初の腕時計以来、初の実用性に足る腕時計を制作しております。
色々な捉え方ができるかと思いますが、コンスタン・ジラールは
行動力に溢れ、腕時計に「変革」を起こした起業家としてご紹介させていただきました。
【次回予告 : 時を同じくして、、、】
ジラール・ペルゴとして彼は欠かせない傑物ではありますが、
その裏には妻マリー・ペルゴの兄弟がスイスの発展・そして世界展開に寄与した功績が欠かせません。
次回はペルゴ家を起業家集団として捉え、その活躍をご紹介したいと思います。
記事に書けなかった話や更新情報はXアカウントにてご紹介しておりますので、皆様のフォローを心よりお待ちしております。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ISHIDA新宿 水野