こんにちは!
ISHIDA N43°の魚山です。
いまだ脅威を感じる状況ですが、こんな時こそ今自己でできることから
頑張っていきましょう!
シャルル・ベルモがクォーツショックを乗り切ったように!
返信はありませんでした。それから程なくして、
上司から次の命令が出ました。
しかしベルモは諦めませんでした。
その夜から、誰にも何も言わず、彼は機械や工具を一つずつ、
自分の手でゼニス工房内の屋根裏部屋に隠したのです。
ル・ロックルの街が眠っている間、ベルモは機械や工具を入念に分別し、
ラベルを貼り、何百個もの金型や工具をしまい込みました。
彼は時計の製造過程をすべて自分のノートに記録し、
今や見捨てられた自動巻きクロノグラフの
製図や仕様書を分別し、ファイルしました。
そして、シャルル・ベルモ自身の手で、壁で囲んだ部屋のドアの向こうに、
プレス機やカム、切削機などの大切な品々を密かに収納しました。
そしてエル・プリメロは
その美しい精密機構とともに忘れ去られたのです。
すべての工房ではクォーツ時計が作られるようになりました。
1982年
その後、予測もしなかった転機が訪れます。
エベル、そしてロレックスがエル・プリメロ機械式ムーブメントに
興味を持ち、一部のモデルに採用したいと言ってきたのです。
ゼニスは製造再開を検討しましたが、その困難はとても克服不可能で、
費用は天文学的数字に上ると予測されました。
そしてついにシャルル・ベルモが口を開きました。彼は秘密を明らかにし、
隠されていた大切な品々を見る日が来たのです。
1983年
シャルル・ベルモによって10年近い眠りから目覚めた
エル・プリメロ・は、再びル・ロックルの工房の外に出ることになりました。
今日、最新ムーブメント、エル・プリメロ21と、
革新的なテンプとともに、
ゼニスは150年の歴史を誇るブランドとして進化を続けています。
~END~
クォーツ時計が発明され、機械式時計が下火になっていた時代
ゼニスだけだなく、様々なブランドが大きな決断に迫られたようです。
機械式のみ作ってきたブランドがクォーツ時計を手掛けたり、
他の知恵を絞り生き抜いたり、なかには歴史あるブランドが無くなってしまったり…。
時代は違えど、今まさに世界が大きな困難に直面していますが、
まずは個人ができることから対処して乗り越えて行かなきゃですね。
早くこの脅威がなくなり、皆様が健康でいられますように。